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夢をみましたが、言えません!

初夢はみましたか?私はどんなだたったか忘れてしまいましたが、今朝みた夢はお昼のこの時間になっても覚えているほどで、決して心地よい夢ではなく、お陰でスッキリしない感じの一日になってしまいそうです。こういうのを寝覚めが悪いというのでしょうか。
夢の内容は鮮明に覚えていますが、具体的な登場人物は現実の人ですし、その人に対する、多分潜在的に思っている正直な私の感情を吐露してしまうことになりますので、その内容はご勘弁下さい。

「夢」を何故みるのか、そのメカニズムについては多くの学者が研究していますが、分かっていません。
夢は一般的に、浅い睡眠の時にみると言われてはいますが、そうではないという説もあるとか。
普段、抑圧され意識しない願望が夢となって現れるというケースが多いそうですが、誇張されることが多く、現実的には不可解であたったり、矛盾し滅茶苦茶な内容になってしまうことが多いですね。
今朝みた夢は、私が願望していることとは全く反対で、希望しない内容でした。
その夢が、どういう訳かいつまでも覚えているのですから、スッキリしません。こんな経験はされたことはありませんか?

昨日のコラムの続きになりますが、「夢」と言えば上方落語に『天狗裁き』という噺があります。
亭主が寝ている姿をかみさんがみて、「この人、ニヤニヤしてるわ。何か楽しい夢でもみてるんやろか。あっ今度はえらい怖い顔してるし、いったいどんな夢みてるんやろ?」といって亭主を起こし、どんな夢を観ていたのか亭主に聞くと、「何も夢なんかみてへん」という返事。そんなことは絶対にないと、問い詰めるのですが、「みてないものはみてない」と答えてくれません。
すると、かみさん「永年連れ添ってきた女房の私に言えん夢なんか!私に知られたら悪いことか?なー、絶対怒らへんからどんな夢見たか教えて!」と。しかし、亭主は「みてないものを答えられへん」。かみさん「何で教えてくれへんの!」。とうとう夫婦喧嘩に発展します。
それを近所の友達が仲裁に入ります。友達「あんたもな、夢くらいで焼きもち焼いたらあかんで。内のが今、家で餅焼いてるから、一緒に食べといで」と女房を追い出します。そして、友達「おい、かみさんはおらんようになったで。なー、男のわしにやったら言えるやろ。かみさんが焼きもちを焼いて問い詰めるような夢、誰にも言わんからわしだけに教えてくれ。頼むわ」と友達も亭主を問い詰めます。
しかし、誰に聞かれても、みてないものはみてないから言うのは無理と突っぱね、またもや喧嘩になってしまいます。
喧嘩を聞きつけた長屋の大家が仲裁に入りますが、友達を追いやった大家からまた夢を問い詰められて、えらい騒ぎになってしまいます。
大家から家を出ていけとまで言われた亭主は、恐れながらと奉行所に願いでます。
お奉行「そんな、たわいもない話しで家を出ていけというのはけしからん」と大家を責めて、一段落しますが、一同が帰ろうとすると、お奉行は亭主だけを残し、「誰にも言えない夢とやらをこの奉行に聞かせてくれぬか」と、亭主に迫ります。
「いくらお奉行様のお申しつけでも、みていないものはみておりませんので、言いようがございません」という。
お奉行は業を煮やし、「そなた、この奉行にも言えぬと申すか。然らば、夢の話をいうまで、奉行所を出ること叶わぬ。誰か、この者を縛り上げて庭の木につるしておけ」と、とうとう大変なことになってしまう。
日も暮れて、亭主は木に吊るされたまま、「トホホ・・、えらいことになってしもた」と泣いています。
すると、木の上に颯爽と天狗が現れて、亭主を救い出し、鞍馬山の天狗の住処(すみか)につれていくのですが、天狗「女房や友達、大家や奉行にも言えぬという夢の話。是非この天狗にだけは聞かせてくれぬか。いやわしは人間どもとは違って、この鞍馬山の大天狗じゃ。決して誰にも漏らさぬし、そちの悪い様には決してせぬ。いかがじゃ、この天狗にだけ、のう、話してみてはくれぬか」と。
誰にであれ、みていない夢の話など出来ぬと断りますと、「お前がそこまで頑なに言わぬなら、見せしめのために、この天狗がお前の身体をバラバラにしてしまうが、それでも良いか。どうじゃ、言え、言わぬか!!」。
亭主「うーーん、助けてくれ・・・・」。
(場面が変わって)・・・、女房「ちょっと、あんた。こんなにうなされて、汗までかいて。どうしたん、ちょっとあんた。どんな夢みてたん?」。

今年一年、楽しい夢を観たいものです。
ようやく、ちょっとスッキリしてきました。
でも、今朝の夢は誰に聞かれても言いませんよ。